
9代目蔵元 杜氏 渡部 景大さん(左)
東京農業大学醸造科を卒業後、半年間東京の酒屋で経験を積む。2010年に会津酒造に入社。スペック非公開の『山の井』が話題となる。
専務取締役 渡部 裕高さん(右)
大学進学を機に東京へ。税理士を目指し勉強を続ける。2016年、兄から声をかけられ、一時的な手伝いのつもりで蔵へ。いつしか酒造りに魅了され、入社する。
福島県南会津町にある会津酒造の創業は、元禄時代の1688年。
福島県内で2番目に長い、300年以上の歴史を持つ酒蔵です。
冬はマイナス20度になることもある豪雪地帯に建つ蔵は、
雪に負けないようにと梁が多い珍しい構造をしています。
明治初期ごろに建てられたもので、いっそ建て替えてしまった方が便利だと言われることもあります。
しかし、不便があったとしても、それでも大切に蔵を使い続けています。
「新しいものはいくらでもつくることができるけれど、古いものは限られている」
「古くから残るものを、できる限りそのままの形で残していきたい」
そんな想いで蔵を支えるのが、景大さん、弟の裕高さんのご兄弟です。
感覚派と論理派――正反対だというお二人に、酒造りについて伺いました。
経験があるからこそ、挑戦できる

蔵元として会津酒造を牽引する景大さんが、ずっと大切にしてきたのが「経験」です。酒造りは、一般的に冬季に行われます。つまり、酒造りを経験できるチャンスは年に一度だけ。ならばここから最大の経験値を得たいと、10年以上さまざまなチャレンジを重ねてきました。
現在の主力銘柄『山の井』は、その“経験”をキーワードに生まれました。まず、「こういう味わいの酒を造りたい」という設計をする。そこから、米や酵母といった原材料を選ぶ。イメージ通りの味わいを実現するために、どんな造り方やどんな原材料が必要なのか―。そう模索する過程で、多くの経験値を得ることができました。そんな景大さんの姿勢が変わったのは、コロナ禍がきっかけでした。
「南会津は92%を森林が占めていて、残りもほとんどが田んぼです。森と田んぼのすき間のほんのわずかな場所に人が暮らしています。以前は、『何もない場所だな』と思っていました。でも、コロナ禍で外に出られず地元を歩き回るうちに、気持ちが変わりました。こんなに自然に恵まれた場所は他にないのでは―と思うようになったんです」
酒造りは方向転換。それまでは設計に合わせて県外の米を使うことも珍しくありませんでしたが、原材料ありきで南会津の米を使うことにしたのです。「これまでに培ってきた経験や技術があるからこそ、地元の米に限定しても『山の井』の味わいを十分に表現できるようになったんです」と景大さん。誇りと覚悟がにじみます。
教科書通りにいかないから、面白い

裕高さんは、もともと税理士を目指していました。景大さんが感覚派なら、裕高さんは論理派。とはいえ、教科書の論理通りにはいかないところが、裕高さんを魅了しました。
「酒造りはさまざまなことに影響を受けます。ひとつうまくいかないことがあったとして、その原因がどこにあるのか。蔵の設備や建物の古さ、南会津の過酷な気候……。原因を突き止めるのに数年かかることも珍しくありません」
工程はシンプルでも、突き詰めるほどに複雑で奥深い―。それが、酒造りの面白さなのだと語ります。
今月お送りしたのは、『山の井 黒 ‐星ノ子 fukunomo edi tion‐』です。景大さんが10年ほど前から取り組んできた「ブレンド酒」に、今回はfukuno mo編集部も参加させていただき、一緒に味わいを設計しました。どんなお酒がどのくらいブレンドされているのかは、もちろん秘密。頭で考えず、感じたままに飲んでみてください。
地元の米で、見事金賞受賞!

「鑑評会への出品酒も、地元産の米で挑戦したい」と語っていた景大さん。「地元の米で金賞を取り、農家さんたちと喜び合いたい」―と取材で伺った数日後、見事『田島』が金賞を受賞したという一報が届きました。地元への想いが実を結んだのです。
「ここ南会津には、すべてがあるんです」と語る景大さん。しかし、過疎化は年々深刻化しており、「地域をどう盛り上げるか」というのは大きな課題。そのために大切なのは「まずは大人が楽しんでいる姿を見せること」だと、裕高さんは考えています。現在、酒造組合を中心に、南会津全体で清酒のG.I.(地理的表示)指定に向けた取り組みも進行中。自然と共に生きる町・南会津から、これからも新たな日本酒の可能性が広がっていきそうです。