旨さとキレを併せ持つその酒は、 2人の男を運命的に出逢わせた。 矢澤酒造店《福島県東白川郡矢祭町》 - fukunomo(フクノモ) ~福島からあなたへ 美酒と美肴のマリアージュ~

旨さとキレを併せ持つその酒は、 2人の男を運命的に出逢わせた。 矢澤酒造店《福島県東白川郡矢祭町》


『南郷』の醸造元である『矢澤酒造店』の創業は、約180年前の天保4年。茨城県との県境、東白川郡矢祭町にある福島最南端の酒蔵です。
つい3年前まで、この蔵は『藤井酒造店』という名前でした。
『南郷』という銘酒が生んだ、運命的な世代交代の物語。
8代目・藤井健一郎さんと9代目・矢澤真裕さんにじっくりと伺ってきました。

8代目 藤井健一郎さん                9代目 矢澤真裕さん

藤井さん「私は花火が好きなんです。花火って、バーンと弾けて、ピッと広がって、サッと引いていくでしょう? それをイメージして『南郷』を造りました。昔は、全国新酒鑑評会を始め、色んな賞も取っていましたが、今の大吟醸のトレンドは、私の理想とはちょっと違うんですよね。流行を追うよりも、自分が本当に良いと思うものを造りたいと思ってやってきました」
矢澤さん「元々、僕は『南郷』に関係があった者ではなく、ただの日本酒好きで、新宿のあるお店に入った時にたまたま『南郷』を呑んだんです。非常にコク深い旨味と、キレがある。旨味が強すぎると、普通は飲み疲れするんですけど、サッと切れちゃうので、旨さとキレの良いとこ取りなんです。古いようで真新しい。食べ物にも合う。別のお酒を飲んでも、飲み終わるとまた南郷に戻ってきてしまいました(笑)。それを見た店の女将が“そんなに『南郷』が好きなら、蔵元の義理の弟さんがうちの常連だから会ってみませんか?”と言ってくれたんです。そうして2016年5月にお会いすることになったのですが、その日は偶然、藤井さん御本人も東京にいらっしゃって、義弟さんも一緒に3人で会って話をしたら、すっかり意気投合してしまいました」
藤井さん「うちのお酒は、私の頃は9割9分、矢祭町の中で消費されていましたが、田舎から人が減っていく中、地元だけを相手にしていてはもう先が見えない。首都圏や海外に向けてやれる人はいないかと考えていたときに、矢澤さんと運命的な出逢いをしたんです。酒の好みも一緒だし、こういう人に任せれば未来が広がるんじゃないかと思って“蔵を継ぎませんか”とお話をしました。息子もいるのですが、年齢的にも社長を任せるにはまだ時間がかかる。蔵のためには、矢澤さんの力が必要でした」
矢澤さん「即答で“いいですね。やりましょう”と答えました(笑)。すぐに諸々の整理をして、約8ヶ月後の12月には、商号も経営権も移行を完了しました。その後、売り方や売り先は少しずつ変えてきていますが、私自身がそもそも『南郷』ファンなので、酒質はまったく変えていないです。昔からの地元のお客様も、最初は東京から来た人間なので不安だったようですが、3年間、酒質を変えずにやってきて安心したのか、今は応援していただいています」

―元々はどんなお仕事をされていたのでしょう?
矢澤さん「大学生の頃に『夏子の酒』というドラマを見て、日本酒にはまっていくのですが、最初の仕事は、国土交通省の役人でした。その後ご縁があって、醸造機器のメーカーに転職し、その会社でひと通りやるべきことをやって、そろそろ新しいことをしたいと考えていた頃に、藤井さんと出逢ったんです。私の人生、結局は日本酒なんですよね(笑)。今は半年を東京での営業、半年を蔵での造りの時間と分けています。造りは、藤井さんの頃からいらっしゃる杜氏さんの元で一緒にやっています。蔵に来る前も、南部杜氏の講習会に出たり、趣味の延長で勉強はしていたのですが、やっぱり机上と実際は違いますね。お米のことや道具のこと、細かいオペレーションもやってみないと分からない。その中での工夫とか、努力があるわけです。それらがバチッと合っていくと、非常に良いお酒が出来ますので、面白いし、やりがいもあります。今後は、世界のシェフやソムリエに認められるお酒になればと思っています。実際に先日、ペルーにある世界的に有名なレストラン『ガストン』のソムリエに紹介したら“ぜひ使いたい”と言っていただきました。地道な営業で、東京の有名店でも徐々に広まっています。そうやって、点と点がつながって、線と線になって、やがて面になってくれれば面白いですね」

矢澤酒造店
福島県東白川郡矢祭町戸塚41
TEL.0247-46-3101
https://www.yazawashuzo.co.jp/