地域に在って、文化を担う 四家酒造店 《福島県いわき市》

いわきの歴史とともに 飲み継がれた秘蔵の酒

広い県土を持つ福島は、地域ごとに気候にも差が生まれます。浜通りの南部に位置するいわき市は、年間を通じて比較的温暖な土地。寒造りが基本の日本酒において、冬の暖かさは不利な条件とも言えますが、四家酒造店は、そんなハンデをものともせず、これまで何度となく全国新酒鑑評会はじめ数々のコンクールで優秀な成績を収めてきました。その立役者となっているのが、毎年蔵に住み込みで仕込みにあたる南部杜氏の方々。7代目の四家久央さんも「経験豊富な造り手さんたちなので、信頼して任せています」と、太鼓判を押します。昔ながらの手法を受け継ぎ、変わらぬ味を今に伝える。四家酒造店のお酒はそうして170年の長きに渡っていわきの人々に愛されてきました。

そもそもの始まりは幕末に遡ります。当時の当主・四家又兵衛氏は、自らの俳号に「竹林亭真酒躬」(ちくりんていますみ)と付けるほどの部類の酒好きだったそうで(真酒躬とは“まことの酒飲み”の意)、自ら楽しむために酒造りを始めたと伝わります。
「その後、常磐炭鉱が開発され、蔵の周辺にも坑道がたくさん掘られました。うちのお酒も坑夫たちに飲み継がれることで、いわきに根付いたのかなと思います」

炭鉱の最盛期には30軒近くあったといういわきの酒蔵も、時代の移り変わりとともに少なくなり、現在、仕込みを行っているのは四家酒造店を含め2軒のみ。それでも多くの坑夫たちに親しまれていた時代と変わらず、今も生産量の9割以上が地元で消費されると言いますから、その愛されぶりは相当なもの。四家さんは、「いわきを一歩出ると誰も知らない酒」と苦笑しますが、これほど地酒らしさを残すお酒も今となっては珍しいのではないでしょうか。
「いわきではあっさりして飲み口の良い辛口が好まれる傾向がありますが、これからは味わいの幅にもバリエーションを持たせ、お客さんの希望に合うものを造っていきたい」と抱負を語る四家さん。普通酒がメインだったラインナップの中にも、徐々に特定名称酒への取り組みが増えてきました。いわき市民の秘蔵のお酒は、一層地元で選ばれるために進化し続けています。

地域の文化を受け継ぎ 過去と未来の架け橋に

2011年の3月11日。東日本大震災が発生し、いわき市は大きな被害を受けました。甑倒し(その年の最後の仕込みを終えること)の直後だった四家酒造店では、建物の一部が崩れたものの、幸い蔵人たちにけが人はなく、四家さんもホッと胸を撫で下ろしたそう。しかし、原発事故の不安が募る中、その後の見通しが立たない日々が続きました。
「それでも杜氏さんはじめ蔵人たちは、“残っている仕事はやるよ”と最後の火入れまで全うしてくれました。“次の年もまた来るよ”と言ってくれたことも心強かったですね」

その言葉通り、2011年度の仕込みも例年通りに実施。未曾有の事態にあっても絶やすことなく酒造りができたことは蔵にとって大きな力となりました。またその頃、四家さんの中でも、日本酒への思いを新たにする機会に恵まれます。
「震災後、復興に関わるいろいろな方たちがいわきを訪れるようになりました。そんな時、もっともらしい会議で意見を言うよりも、お酒を飲みながら砕けた感じで話した方がお互いに心も通じるし、話も弾むということを目の当たりにすることがとても多かったのです。お酒が人と人をつなぐコミュニケーションツールとしてとても優れたものだということを再確認しました」

さまざまな立場の人が一堂に会し、いわきの未来を語り合う場所に、地酒があること。その意味をより強く意識し、以降、県が行う文化事業にも積極的に関わってきました。100年以上続く造り酒屋の当主として、今後の町づくりにおいても役割を果たしたいと思いを強くします。
「喜多方の大和川酒造店さんなどもそうですが、酒屋は地域の文化的な立ち位置を担う存在でもあるんだなあと、震災以降、より感じることが増えました。声高に言うことではありませんが、私は震災は悪いことばかりではなかったと思います。それまで気づかなかったことに目を向けさせ、たくさんの出会いの機会を創り出したのですから」

これからの夢はなんですか? と尋ねると「いわきの方々と手を携えてずっとやっていきたい」と答えてくださった四家さん。迷いのない言葉に、清々しい地元愛があふれていました。

合名会社四家酒造店
いわき市内郷高坂町中平14番地
TEL.0246-26-3504 FAX.0246-26-3560

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