辿り着いた答えは 地元の米・水・人による 『本物の地酒』造り 大谷忠吉本店《福島県白河市》

大谷忠吉本店は、JR白河駅から歩いて10分弱の場所にある町中の小さな酒蔵。かつては鑑評会での金賞受賞を目標に酒造りをしていたものの、ある時を境に、鑑評会出品はせず地元の米・地元の水・地元の人による地元のための『本物の地酒』造りを志すようになったといいます

強いこだわりを持つ蔵元は、とても柔和な紳士でした。


5代目蔵元/代表社員 大谷 浩男さん

大谷忠吉本店の名前は、創始者、大谷忠吉に由来します。創業は明治12年、私は5代目です。いずれは蔵を継ぐつもりで、高校卒業後は東京にある大学の経営学科に通い、その後は、東京の酒問屋で修行をしていました。修行を始めて2年半ほど経った頃、父親が急逝し、慌てて白河に戻ってきました。25歳の時でした。蔵には番頭さんもベテランの越後杜氏もいたので、戻ってきた年は大丈夫だったのですが、その翌年に杜氏が倒れてしまい、急遽、私が蔵元杜氏として酒造りを担うこととなりました。素人同然だったので、県の清酒アカデミーやあちこちの酒蔵さんに相談しながら、必死で酒を造り始めました。

右も左も分からず酒蔵経営を始めた頃から、地域の方にはよく助けてもらいました。近隣の社長さんたちに声をかけてもらって、商工会議所青年部にも誘っていただき、地元のこともイチから勉強できました。そういった経験を通して、地元のために何かをしたいという想いが強くなりました。

清酒アカデミーの先生に教わった通り、一生懸命にお酒を造ったら、杜氏となって2年目からは県の鑑評会で金賞を取れるようになりました。でも、5年連続して金賞をもらってもお酒は思うように売れなかったんです。賞を取ることを目標にがんばっていたけれど、これで良いのだろうかと疑問を持つようになった頃、地元の方々と話している中で「地域で求められているお酒は、賞をとるようなお酒ではないのでは」と感じるようになりました。鑑評会で受賞するお酒の多くは、兵庫県産の山田錦というお米を使うのですが、そういうお酒で地元白河の人は喜ばない。求められているのは、きっと地元の米・地元の水・地元の人で造った本物の地酒なのだ。そう考えた時から完全に方向転換し、蔵で使うメインのお米は、近隣で栽培されている『チヨニシキ』に切り替えました。(※一部、福島県産の五百万石や夢の香なども使用するが、100%福島県産米を使用)地域で喜ばれるお酒造りを第一とし、鑑評会の出品も20年程前からしていません。出荷先も、7割近くを地元に出しています。

もう1つの大きな転機は、『登龍』の販売開始です。現在、蔵には、『白陽』と『登龍』の2つの代表銘柄があります。『白陽』は、白河の太陽を目指すという想いを込めた、昔ながらの伝統的な銘柄。『登龍』は、約10年前に、蔵人の大木英伸・裕史の兄弟が開発した新しい銘柄です。高齢で抜けた蔵人の臨時穴埋め要員くらいの考えで、当時20歳前後でフリーターだった2人に手伝ってもらい始めたのですが、2人ともすっかり酒造りにはまってしまい、「このまま酒造りを勉強させて欲しい」と言ってきたんです。まずは、蔵で一番小さなタンクを1本まるごと預けて、ゼロから酒造りをやらせてみました。2年間は売り物になる酒ができなかったのですが、3年目には、立派なお酒が出来上がり、地元でも好評の銘柄『登龍』が誕生しました。

『白陽』は、昔ながらの伝統を継承した、コク・旨味のあるお酒がコンセプト。『登龍』はしっかりした味の辛口のお酒がコンセプトです。しっかりした味を出す工夫として、麹歩合(仕込みに使う白米全体における麹米の比率)を通常より6%程高く、26%程度としています。どちらの銘柄も基本的に、1年以上熟成をさせてから出荷しています。熟成させている理由は、私の好みだからです(笑)。今後も、良い意味での現状維持を目指します。アルコール消費のトレンドや福島のお酒に対する世間の評判は、時代時代で変わっていくと思いますが、「大谷忠吉本店のスタイル、『白陽』や『登龍』の味わいは、昔も今も変わってないね」って言われるのが、私にとって一番の褒め言葉です。

大谷さんと共に蔵を支える白河市出身の兄弟杜氏、右から兄・大木英伸さん、弟・裕史さん。『登龍』を設計し、ラベルの文字まで英伸さんが手がけた。

大谷忠吉本店
福島県白河市本町54
TEL.0248-23-2030
http://www.hakuyou.co.jp/

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