この町、この場所で、醸す 曙酒造 《福島県河沼郡会津坂下町》

若い蔵人と交わした “和醸良酒”の誓い

取材に伺ったのは11月の半ば。本格的な仕込みシーズンが始まり、蔵の中もさぞピリピリしているのではと思いきや、すれ違う蔵人の誰もが健やかな表情。製造責任者の鈴木孝市さんにその理由を聞くと「カリカリしていたらいいものは生まれない。うちはなるべく楽しく明るく造るのがモットーだから」と教えてくれました。どっしり構え、風通しの良い現場を作りあげる姿勢には気概を感じます。

そんな曙酒造は孝市さんで6代目。明治37年の創業以来、会津坂下町で酒造りに邁進してきました。代表銘柄は華やかな香りに軽やかな味わいが特徴の「一生青春」、製法や米にこだわり季節ごとの味わいと透明感を大切にした「天明」、そして女性やお酒に縁のない人たちのために考案された日本酒ベースのリキュール「snowdrop」の3本柱。

その中には季節限定も多く、ほぼ毎月のように新たな商品が酒屋さんの棚に並ぶという、怒濤のリリースでファンを楽しませてくれる蔵でもあります。一体、どれほどの熟練蔵人がこのハイペースな酒造りを支えているのかと思えば、意外にも蔵人たちの平均年齢は29歳と県内でも最年少クラス。しかも初めて酒造りに携わるという若者がほとんどだと言います。

「経験がないとできないと思われがちなところを、設備で補っていくのがうちのやり方。どこで修行してこようが、僕たちは坂下のこの場所でしか酒造りしないし、それだけを突き詰めていかなければと思っています」

なんでも、蔵人たちには「結婚した先の子供の人生まで面倒みる」と言い聞かせているそうで、その心意気たるや頼もしいの一言。いずれは彼らの子供たちが曙酒造で働きたいと思ってくれるようになることが、孝市さんの夢のひとつでもあります。

「うちの酒を造ることで、どう自己実現するか、そこまで考えられるようになってほしいんです。みんなでうまい酒を生み出すのは、日々必達の目標。その先に個々の夢の実現や達成があると思うんです」

製造責任者として、蔵人をまとめあげるのは仕事のうちとはいえ、これほどまでに心を砕けるのは一体なぜなのでしょう? それは東日本大震災後の蔵の大転換に起因するものでした。

「後悔はしたくない」 震災がもたらした決意

孝市さんが蔵に戻ったのは10年前のこと。きっかけはご両親の病気でした。それまでは、ふたりが箍となって蔵人をまとめ上げてきましたが、現場を離れたことで緩みが目立つように。しかし、蔵へ戻った孝市さんは、ベテランの蔵人たちとの“和”を維持することに必死で、言いたいことも言わず、見て見ぬふりを通す毎日だったそう。自分の拙さやだらしなさを痛感したと言います。東日本大震災が起こったのは、まさにそんな時でした。

「生まれ育った土地で、商売をして生きていく事が当たり前だと思っていたことが、不可抗力によって崩され、実際に土地に戻れずにいる先輩や、同世代の蔵を思ったときに、今のままではいけない、この土地から離れざるをえなくなったときに、絶対に後悔することになると思いました。蔵の体制や何のために酒を造るのか、僕らがこの土地に生まれた意味。いろいろなことを両親と話しました」

新しい夢と目標のもと、体制を一新して始めた酒造り。それはこの場所でしかできない、孝市さんたちにしかできない真の意味の“和醸良酒”を追求する酒造りの始まりでもありました。

「自分たちの思うことを、ただ実践しているだけ。でもそこに、協力してくれる酒販店さんや、代が替わっても付いてきてくれた人たちがいる。頭が上がりません。日本のトップクラスで戦う、福島の先輩蔵元たちの存在も憧れです。心強いですよね。そして同じ時期に帰ってきた同世代の蔵元との切磋琢磨もいい影響があると思います。福島県全体が10年後、20年後全国でもトップの酒どころになれたらうれしいです」

覚悟を持って臨んだ酒造りで道を切り拓いてきた曙酒造。その姿勢が名前の通り、福島の日本酒の未来を照らすまばゆい光になることを願ってやみません。

曙酒造合資会社
福島県河沼郡会津坂下町戌亥乙2
TEL:0242-83-2065 http://akebono-syuzou.com/

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